「14年目の3.11」
「14年目の3.11」
福島に行って、いつも感じていた事、それは、いつも空が抜けるような青さだったことです。原発事故で汚染されてしまったことなど、なにも感じられませんでした。そして、気仙沼の海の色も、青く透き通っていました。そのようなきれいな空や海を見ていると、逆にいつも悲しい気持ちになっていました。現在、コロナ禍の影響やアーティストの家庭事情などで、思うような支援活動はできないところもありますが、できる範囲で続けています。また今年は、今後新たなプロジェクトで新たな支援活動を行いたいと考えています。いまでも2011年の事は鮮明に覚えています。震災後直ぐに支援物資を車いっぱいに詰め込んで、東北自動車道を福島に向かう道中は高速道路の道が地震でデコボコに浮き上がっていて、また、いわき市内の道路はさらにデコボコに割れていました。そしてテレビのニュースでインタビューに答えていた国見サービスエリアの女性を応援したくて、会いに行き、会った瞬間にその女性が泣き崩れていた顔を今も忘れる事ができません。また気仙沼に支援に行くときに、東北自動車道の一関インターを降りて、気仙沼に向かって坂道を降りて行くにしたがって、津波で破壊された風景が見えて、気仙沼市内に到着すると、もう、何も、がれき以外は何もない状態でした。また支援をして曲を作った気仙沼の連絡船「ひまわり」の船長さんが船で迎えに来てくださり、その船の上で、お孫さんに話しかけられ、「ねえねえ、この海ね、3/11に真っ赤に燃えてたの。。」と海を見つめながら、教えてくれた事があまりにショックで、今もそのお孫さんの横顔を忘れる事ができないです。現在も2万人くらいの方々が避難生活を続けていらっしゃるようです。ボク達の支援活動がどれだけ、お役に立ったのかはわかりませんが、災害のない世界を願うと共に、世界中でも争いや戦争がない、そして、皆が手をつなぎ合って助け合う世界を目指して、青い空や青い海を見つめながら、活動を続けてゆきます。震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
NORIO
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